軍艦島にて
ABSTRACT.JP
明治時代、炭坑として栄えた島。軍艦島。

島とは言っても、もともとは小さな瀬。
その小さな瀬を何度も埋め立てて拡張し、
現在の大きさはもともとの面積より3倍もの大きさに。


昭和49年に閉山し、現在までは無人島。



正式名称は、長崎県の『端島』。


軍艦島という名前の由来は、
外観が軍艦に見えるから。


始まりは江戸時代後期。


1810年に、この軍艦島の元となる瀬で
石炭が発見されました。


当時はまだ、大規模に採炭していたわけではなく
佐賀藩が細々と採炭をしていました。

その後、明治の時代になり、
明治23年に脚光を浴びる事に。

三菱合資会社が投資を開始。
島と鉱区の権利を購入し、設備投資を開始、
大規模な海底採炭が始まりました。
採炭が出来る量が増えるに従って、
炭坑で稼いで一旗揚げようと言う労働者も増加。

島をどんどん埋め立てて拡張、その埋め立て回数は6回にも渡り、
島の大きさは6倍にまで広がります。

採炭を始めた当初、軍艦島は
ほとんどが炭坑であったため、増え続ける人口を受け入れる為に
高層アパートも、狭い範囲内にどんどん建設。

もっとも人口が増えた時には5,200人もの人口にまで増加。

狭い島なのに、こんなにも人が増えたので
人口密度は、当時の日本で最も多かったと言われています。


豆知識ですが、
日本で初めて鉄筋高層アパートが作られたのは この軍艦島。
1916年(大正5年)に建設されました。

軍艦島と言われ出したのは、
この鉄筋高層アパートが建設された年。
大阪朝日新聞が「軍艦とみまがふさうである」と言った事。

その5年後には、長崎日日新聞でも
三菱重工業で建設されていた戦艦に似ているという事で、
軍艦島とハッキリ言った事が始まりとも言われています。




時代は移り、1960年代になると
エネルギー革命によって
主要エネルギーが石油へと変わっていきます。

1970年代には、日本政府のエネルギー政策で
とどめを刺されてしまい、
ついに1974年1月15日(昭和49年)、閉山。

閉山時には、2,200人にまで人口は減少していました。


もともと小さな瀬からを埋め立てただけの軍艦島には
産業は何も残らず、この2,200人もその年の4月20日には
全員が島を離れ、現在まで無人島が続いています。